Guide 140. 「システムのせい」でも「自己責任」でもない第三の立場

Introduction: 二つの答えの間で宙吊りになる感覚

仕事で行き詰まる。キャリアが思うように進まない。人間関係が壊れる。こういうとき、原因の説明は二つの方向に引っ張られます。「これは競争社会の構造が悪い」——か、「自分がもっと努力しなかった、自分の能力が足りなかった」。

どちらも、何かを説明しています。しかしどちらかだけにすると、何かが正直ではない気がします。「全部システムのせい」にすると、自分の選択が消えます。「全部自分のせい」にすると、自分の置かれた条件が消えます。この二択の間で、現実は見えにくくなります。

Session 1: 「全部自分のせい」と「全部システムのせい」はなぜ引力を持つのか

二分法に引き寄せられるとき、そこには意志の問題ではなく、特定の認知の構造が働いています。

複雑な原因を分析することは、認知的にコストがかかります。複数の要因が絡み合い、どれがどの程度影響しているかが見えにくい状況で、脳はより単純な説明を好みます。「一つの原因に帰属させる」という単純化は、不確実性の不快さを素早く減らします。

さらにこの二分法には、それぞれ感情的な機能があります。「全部システムのせい」は、自分への失望や失敗の痛みから自尊心を守ります。「全部自分のせい」は逆説的に、世界が「自分の努力次第でコントロールできる」という感覚を維持します。どちらも、複雑な現実から身を守る方法として機能しています。

問題は、この保護がコストを伴うことです。「システムのせい」は自分の選択の余地を消し、行動の動機を奪います。「自己責任」は構造的な制約や偶然の要素を無視し、変えられないものを変えようとして消耗します。二分法は心を守りながら、同時に現実を見えにくくしています。

Session 2: 実践——「統制できるか」という問いに切り替える

この実践は、「誰のせいか」という問いから「これは変えられるか」という問いへと、分析の軸を移すものです。

STEP 1: 「せいにする」から「分解する」へ

何かがうまくいかないとき、原因を一つに集約しようとする衝動に気づいたら、代わりに分解を試みます。

この状況に影響している要因を、三つ以上書き出せるか。自分の選択、他者の行動、構造的な条件、偶然の要素——それぞれが何パーセント程度関わっているか。

完全に正確である必要はありません。「一つの原因」から「複数の要因の絡み合い」へと視点が移るだけで、対処の選択肢が広がります。

STEP 2: 「統制可能か」で仕分ける

書き出した要因を、「自分が変えられるもの」と「自分では変えられないもの」に分けます。

これは私の行動によって変わるか。変わらないか。

「変えられないもの」にエネルギーを注ぐことが消耗の主な原因です。「変えられるもの」の中にある、最も小さく確実な一歩に集中することが、無力感でも過剰責任でもない現実的な主体性の出発点です。

STEP 3: 「応答可能性」の問いに切り替える

「誰の責任か」という問いを、「私はこの状況にどう応答できるか」という問いに置き換えます。

この状況の原因がどこにあるにせよ、今の私に応答できることは何か。

責任の所在を確定することと、応答することは別の問いです。原因の分析が終わらなくても、応答は始められます。この切り替えが、分析の麻痺から行動への最初の移動です。

Session 3: 二分法はどこで作られ、何が超えられるか

「自己責任」という感覚の社会的製造

地理学者・政治経済学者デヴィッド・ハーヴェイが示した新自由主義の分析は、1970年代以降の政治経済的転換が、社会的成功と失敗の原因をほぼ完全に個人の努力と選択に帰属させるイデオロギーを製造してきたことを明らかにしました。市場の論理が社会のあらゆる領域に浸透するとき、構造的な不平等——生まれた家庭、居住地域、教育へのアクセス、景気循環——は「個人が乗り越えるべき課題」として内面化されます。「全部自分のせい」という過剰責任感は、個人の性格の問題ではありません。特定の時代の特定のイデオロギーが製造した、内面化された評価基準です。そしてこの自己責任論への反動として、構造的要因をすべての説明として使う「全部システムのせい」が生まれます。二分法は対立しているように見えて、同じイデオロギーの産物です。

「内部か外部か」だけでは、現実が見えなかった

心理学者バーナード・ワイナーが提示した帰属理論は、人が出来事の原因を説明するとき、単純な「内部か外部か」だけでなく、「安定しているか変化するか」「統制可能か不可能か」という三つの次元で認知することを示しました。この三次元の枠組みは、二分法が見えていないものを可視化します。同じ「内部要因」でも、「自分の努力(統制可能・不安定)」と「自分の生まれつきの特性(統制不可能・安定)」は異なります。同じ「外部要因」でも、「この職場の特定の慣行(変えられる可能性がある)」と「経済全体の構造(個人では変えにくい)」は異なります。無力感は、統制不可能な要因に全エネルギーを注ぐときに生まれます。過剰責任感は、統制不可能な要因を統制可能として扱うときに生まれます。「統制可能か否か」という次元が見えると、現実的に動ける範囲が見えてきます。

構造は、制約しながら同時に変えられていた

社会学者アンソニー・ギデンズが示した構造化理論は、「構造」と「個人の行動」を対立させるのではなく、相互に生成し合う関係として捉えます。構造は個人の行動を制約し、可能性の範囲を規定します。しかし同時に、構造は個人の行動によって継続的に再生産され、また少しずつ変容されます。誰もが毎日、職場の慣行を再生産しながら、ときに微修正しています。消費の選択が市場に信号を送り、対話の質が組織の文化を緩やかに変えます。個人はシステムに完全に規定される客体でもなく、システムを自由に設計できる主体でもありません。構造の中で動きながら、構造を少しずつ作り直している存在です。この理解が「応答可能性」の根拠になります——完全な自由はないが、応答の余地は常にある。

Conclusion: 二分法は、どちらも現実の一部だった

新自由主義のイデオロギーは自己責任の感覚を製造し続けます。その反動として「全部システムのせい」への引力は消えません。どちらの帰属スタイルも、複雑な現実を単純化する引力を持ち続けます。構造は変わりません。

しかし「これは自分が統制できるか」という問いは、どの状況にも持ち込めます。その問いが、「誰のせいか」から「何に応答できるか」への最初の移動です。

The structure was never fixed. It was being remade, continuously, by the very people it constrained.

KEY TERMS

新自由主義と自己責任論(Neoliberalism and Personal Responsibility Ideology)

デヴィッド・ハーヴェイの分析に基づく。1970年代以降の政治経済的転換が、構造的不平等を個人の努力と選択の問題として内面化させるイデオロギーを製造した過程。「全部自分のせい」という過剰責任感の社会的起源。その反動として「全部システムのせい」という対極の帰属スタイルが生まれる二分法の社会的製造装置。

帰属理論(Attribution Theory)

バーナード・ワイナーが示した、原因帰属が「内部vs外部」「安定vs不安定」「統制可能vs不可能」の三次元で構造化されるという認知心理学的枠組み。二分法は「内部か外部か」の一次元への圧縮。「統制可能か否か」という次元が、無力感と過剰責任感の両方から出る現実的主体性の認知的鍵。

構造化理論(Structuration Theory)

アンソニー・ギデンズが示した、構造と個人の行動が対立するのではなく相互に生成し合うという社会学的枠組み。構造は個人を制約しながら同時に個人の行動によって再生産・変容される。「システムのせい」でも「自己責任」でもない第三の立場——応答可能性——の社会学的根拠。

応答可能性(Responsiveness)

責任の所在を確定することとは独立した、「この状況に私はどう応答できるか」という問いへの方向づけ。原因の分析が完了しなくても応答は始められる。統制可能な範囲での行動選択を動機の基盤に置く、現実的主体性の実践的概念。

帰属の統制可能性次元(Controllability Dimension of Attribution)

ワイナーの帰属理論における三次元の一つ。同じ内部要因でも「努力(統制可能)」と「生まれつきの特性(統制不可能)」は異なり、同じ外部要因でも「特定の職場慣行(変えられる可能性)」と「経済全体の構造(個人では変えにくい)」は異なる。この次元の認識が、エネルギーを現実的に配分するための認知的基盤。